地下足袋山中考 NO8
<過疎の概念と脱却>

 20年以上も前から、今後の行政課題は独居老人対策であると言われてきた。県内市町村の高齢化率をみるまでもなく、集落の家族構成は老人世帯に変貌し、連れ合いが亡くなり自身の介護生活が始まれば、集落の灯は歯抜け状態のように消えていく。故郷に戻りたくても戻れない団塊世代と父母たちの距離は一向に縮まらない。せめて、ふるさと納税と思いきや、自治体の税務は煩雑になり、収入以上の業務が発生するだけで地域間格差の是正対策に成らずとの批判もある。▲生産人口の流出と出生数1.3人に満たない少子化問題は、小中高校を廃校に至らしめ、一層の閉塞感をまき散らす。人口38千人足らずの北秋田市で年間56百人に及ぶ人口減少の勢いは、地域の蒸発現象を実感するに十分な説得力を持っている。▲国は人口減少や高齢化、基幹産業の衰退が急速に進むと予想される過疎地域に過疎債を発行し、ハードに限定した道路や施設整備などを実施してきたが、新たな見直しでは生活交通の確保、地域医療の充実、若者の定住促進などソフト面も対象になる予定だ。これまで同様、過疎債の元利償還額の7割は国からの地方交付税で賄う▲その過疎地域自立促進特別措置法の対象となる自治体は、全国1,748の内、729市町村で42%を占める。過疎地域の総面積は全国土の7割に及ぶが、人口は6.3%の800万人しかいない。残りの12千万人の国民は首都圏や主要都市に住んでいるとなれば、過疎の実感は1割にも満たない地方住民の悲哀と言うことか。そもそも日本人に過疎の概念は存在するのか、と疑いたくもなる▲過疎の歯止めと財政基盤強化を合言葉に、飴とムチの誘導策によって推進したのが平成の大合併だ。住民意識融合を旗印に旧阿仁、森吉、合川、鷹巣4町が、名を捨て、実を取り誕生した北秋田市だが、宝のような旧町名を住所地から消し去った合併協議会の決定は、地域住民の琴線に係わるアイデンティティーを葬り去った愚策にも劣る決定であった。論戦を挑み、阿仁名を残した小林精一委員には頭を垂れるのみである▲戦後、国土の均衡ある発展を目指し回り続けてきた公共事業と地方交付税という2台の循環ポンプは、オーバーホールで凌いできたが、社会の構造変化に財政赤字という合併症を誘発し更新時期を迎えている。膨らむ社会保障費や行財政改革論議の火中で、民主党が掲げた「強い経済、強い財政、強い社会保障の強化を政治の強いリーダーシップで一体的に立て直す」とした「大三の道」に国民の厳しい審判が下った。「一番」の復活を掲げた自民党は野党第一党に復員。「増税の前にやるべきことがある」と訴えたみんなの党が大躍進し衆参ねじれ国会が再燃する。時期衆議員選挙まで、循環ポンプの機種選定(安定政権)にはもう少し時間がかかりそうだ▲津谷市政がスタートして13カ月が過ぎた。地方行政は制度に基づく毎日の炊事仕事(エネルギー補給)が多くを占める。スパイスを工夫した手料理をつくる財源は限られている。市長の「自助・共助・公助の基に政策の優先順位を決めて進めたい」とした方針は、現状を指し示す満点に近い漢語論語にも聞こえるが、市民が求める感覚は少し違うようだ▲それは、抽象論や分かりきった方向性のエンドレスではなく、事業分野毎のアセスメントの実施により、農業、林業、観光、製造、販売、バイオ産業等々に至るまで実態調査を読み解き、市場(市民)の求めに対し、北秋田市は、これ位はできるはずだ。やらねばならぬ。という思いと情報を共有したいのである▲その分析から地産地消分野は何か、全国ネットで勝負できる資源は何かを明確にした戦略に行政の助太刀・後押し政策の担保が欲しい。市長は、そのストーリーを具体的なことば力で語り続ける責任がある▲地域の経済的・文化的活性化の源は、人・物・金・情報の流れを作り出す仕掛けに尽きるが、資本の蓄積も個々人のノウハウもスキルも乏しい現状において、諸課題の交通整理と応用問題をこなすリーダーの出現と組織づくりだけは欠かせない。「まだ間に合うのか、もう間に合わないのか」、その成否の行方は、やはり総合産業である観光産業の生業に示されるであろう。(2010.7.1